環境学と私
このコーナーでは、環境学研究科の教員や修了生がそれぞれの関心や出来事について広く語りかけます。
環境法研究と判例

社会環境学専攻 環境法政論
増沢陽子 准教授
本教員のプロフィール
私が環境の分野に関わるようになって30余年になります。国の環境行政に携わったのち大学に移り、2008年から名古屋大学で環境法を講じています。現在では大学教員としてのキャリアのほうが長くなりました。
しかし、今も、自分の思考法が法学研究者の一般的なそれと一致しているのかどうか、少し考えさせられる面もあります。その一つが、訴訟や判例というものに対する距離感です。1990年代半ばに行政官として米国のロースクールに留学しましたが、その(正確にいえば、ロースクール留学生向けの英語のサマースクールでの)最初の印象は、「これほど判例ばかりとは…」というものでした。米国は判例法の国ということもありますが、当時の私にとって、法といえばまず立法でありいわば政策の別表現であって、裁判と向き合う機会は少なかったからです。判例中心の米国法になじんだ後で日本に戻ると、判例は再び少し遠いものとなりました。
大学教員に転じ、特に環境学研究科に着任してからは、状況が変わってきました。人文社会科学諸分野で環境の研究をしている先生方がいるなかで、環境「法」学がどのようなものか、自分なりに問い直す必要性が生じたのです。先達に御助言をいただき、周囲の(環境)法学研究者の活動を見るなか、一つわかってきた(再認識した)ことは、法学研究における判例の重要性でした。環境法にはテクニカルな面があり、問題分野によっては法の解釈・適用が訴訟で争われることが必ずしも多くない場合もありますが(訴訟の存在感が非常に大きな分野もあります)、やはり、判例研究は環境法研究の共通基盤の一つであるように思われます。
一般論とは別に、自分自身の研究については、現在も政策手段としての法がその中心であることは変わっていません。ただ、次第に判例の比重は大きくなりつつあります。理由はいろいろありますが、法の運用実態を知るうえで、特に外国法に関しては、判例(判決文)がアクセスしやすい一次資料であることもその一つです。最近、EUの判例に関する小論を公表しました。また一歩、判例との距離感が縮まったような気がしています。
(まずざわ ようこ)