環境学と私
このコーナーでは、環境学研究科の教員や修了生がそれぞれの関心や出来事について広く語りかけます。
変容する環境リスク―自分史のタイムラインを辿って

地球環境科学専攻 地質・地球生物学講座
林 誠司 講師
本教員のプロフィール
私はのどかな片田舎の町で生まれ、幼少期を過ごしました。近くには大きな工場があり、そこからの煙は強い臭気を発していました。幼い日のおぼろげな記憶は、その「匂い」とともにあります。当時はいろいろな排出規制ができる前で、光化学スモッグ注意報も各地で頻繁に出ていました。ちょうど四日市公害訴訟の裁判が行われていた頃です。私は小児喘息を患っており、入退院を繰り返していました。見かねた両親が、転地療法的なことを考えてくれて、小学校入学と同時に、さらに郊外へ引っ越しました(幸い成長の影響もあり、高学年になると、かなり症状は軽快します)。その後、様々な環境対策が進められ、生家近くの工場を含め、国内工場からの大気汚染のニュースはほとんど耳にしなくなりました。一方でそれと入れ替わるように、越境大気汚染の問題がクローズアップされるようになりましたね。
さて、私の引越先は、開発直後のニュータウンでした。当時は空地がそこかしこにあり、病弱なりに外遊びも楽しんでいました。ただ、開発前に捨てられた野犬が少なからず徘徊しており、下校時に執拗に追い回されたことが何度かありました(徒歩15分ほどの距離にある小学校から帰るのに、1時間近くかかったことも!)。校庭の片隅に野犬捕獲用の檻があったのを鮮明に覚えています。現在、この町で野犬を見ることは、ほぼなくなりましたが、山間地との移行地帯にあるためか、近接する地域でクマの目撃情報が報道されるようになりました。再び校庭に檻が置かれることのないよう、祈るばかりです。
今も実家はこのニュータウンにあります。初期入居者は若年層中心だったものの、その後出生率や新規転入者数が減少したことから、50余年を経た現在、高齢化率が全国平均をおよそ8ポイントも上回っています。このような未来を、果たしてどれほどの住民が予測できていたでしょうか?
以上、自分史に沿って書き連ねてみましたが、本当に環境問題は次々と出てくるものだと嘆息します。環境学に課せられた使命は重いですね。
昨年家族に迎えた保護犬と。昔は苦手だった犬も、今では癒やしの存在となっています。(ハヤシ セイジ)