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このコーナーでは、環境学研究科の教員や修了生がそれぞれの関心や出来事について広く語りかけます。

私の環境学

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地球環境科学専攻 物質循環科学講座
阿部 理 助教
本教員のプロフィール

環境学とは何でしょうか?広辞苑には載っていないこの分野について、みなさんの”環境”で接する方々、特に親御さんやご親族からこの質問を受けたとき、どう答えればよいでしょうか。
現在50歳以上の人にとって、”環境学”は”公害”とリンクするかもしれません。実際、2001年の本研究科創設記念シンポジウムのテーマはずばり「21世紀を環境の世紀とするために―公害の原点四日市に学ぶ―」でした。ただ、当時から現在に至るまで大きな、解決すべき課題の一つは公害ではなく地球環境問題でしょう。そこでみなさんが環境学を説明するための一材料として、公害と地球環境問題の違いを、被害規模・被害認識・加害者の観点で述べてみましょう。
まず、被害規模については、公害は地域限定的であるのに対して地球環境問題は文字通りほぼ地球規模です。代表例を挙げると、数か国で過半数を占めてきた大気への過剰なCO2放出により、地球全体の気温と海面が上昇していることです。
次に、被害認識に関しては、公害は病状として現れるため明らかですが、地球環境問題では困難といえます。海面上昇による国土損失が明瞭なサンゴ礁島では容易ですが、例えば、濃尾平野に暮らす人々にはたして被害認識はあるのでしょうか?同平野は海岸から20km内陸までゼロメートル地帯が延びる、日本で最も海面上昇の影響を受ける場所なのに。一方で、上位のCO2排出国であったために、国民としては加害側の認識をおそらく持っています。国や、個人においても、比較的無自覚に被害と加害が共存するのが、地球環境問題の特徴かもしれません。
最後に、加害者について。公害では企業活動であることが多いため比較的わかりやすいです。地球環境問題においては、上述したようにそれほど単純ではありませんが、現在の日本においては、”前世代の市民”が加害者、”将来の市民”が被害者、と区分できると思っています。端的な例として、一人当たりのCO2排出量は、1960~1980年代に急激に増加し、1990年代以降はほぼ一定です。つまり、’60~’80年代は”イケイケ”で、’90年代以降は”つましく”暮らしています。もちろん、昔ありきの今の便利さですが、生まれながらに存在していたものをあえてありがたがりはしません。その意味で、イケイケだった人が加害側であり、それを味わってない人はやっぱり被害側、でしょう。
親御さんの理解を深めてもらうために書き始めた文章でしたが、結果、世代隔壁を促してしまい、失礼しました。
(あべ おさむ)

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